田舎の実父が亡くなった際、地方のルールが私を混乱させました。
田舎の人にとっては当然と思われることが、東京で暮らす私には分からないのです。
その為、喪主は私の名前で弔辞を述べたのも私でしたが、私の役割はそれだけ。他は母が率先だってやった形ですが、祭壇の花の順位など「俺、こんなに高い位置でいいの?」などと私に言われても「私は一切、分からないので母がやりました」と答える羽目になりました。
その他、細かいことを聞かれても「何それ?」と葬儀やお葬式に慣れていない自分、ローカルルールに振り回された自分がいました。
一切、分からないことには手をつけず、母に一任しました。
母も「そんなこと分からないの?」「そんなの自分でやって」などと言うことはありませんでしたので、自分に任された事をやるだけに努めました。
その様子を頼っていた人が見ていて、「東京に住んでるから分からない事だらけだろ?」とフォローしてくれました。
葬式、告別式共に浦島太郎の気分で初めから終わりまで通し、弔辞はバッチリ決めたので周りの反応がガラリと変わりました。
弔辞の前までは「頼りにならない人」というレッテルを貼られた感じでしたが、弔辞を終えた際、終えてからの会食では「さすが、最後は決める奴!」という雰囲気になり、とても気分よく終えることができました。
その後、母が一人で暮らしていますが、私が帰省した際も、関係者の方の見方がそれまでとは違い、暖かいように感じられます。
分からないことは分からないと、できないことはできないと言うべきです。
ただでさえ、忙しい葬儀ですから、皆さん気が立っています。
「そんな事でそんな風に言わなくてもいいのに。そんな態度で接しなくてもいいのに」と傷つくことも多いと思います。急場である以上、仕方がないのです。
それをスルーして、役割をきっちり果たすことで、その後の関係が良好になります。
弔辞を任されたら、定例的な文でなく、自分の頭で考えたことを述べると人の心を撃ちます。必ず自分の言葉で述べた方が良いです。