母が亡くなったとき、時代が時代でしたので会社の人も呼んだのですが、やはりストレスが溜まりました。会社の人への対応もしなくてはならず親族の方ともあまり深く話すことができず、総括して良くなかったと思いました。
当時は家族葬という葬式方式が一般的ではなく、ある程度規模大きい葬式は当たり前のことでした。戒名も一応つくりましたが実は亡くなってから20年たつ今でも覚えていません。また、僧侶が読経を読む姿を見て荘厳な思いがしたかといえば何も感じませんでした。
立場上、長男ですので、それなりに役目を果たさなければならないのですが、葬儀の費用も葬式会社のいい値でありましたので、自分としてはこのような葬式が良いのかと疑問を持ちました。
結局の所、結論めいたことを言えば、体裁を整えるための儀式に過ぎないのかと感じました。
私にとっては母の戒名よりも写真の方が愛着が有り、本名こそが母に対する呼び名だと今でも思っています。私の葬式では戒名はいらない、東京湾にでも散骨して欲しいという希望があります。